医学に限らず「ゴールは一緒」って多いですよね。
詳しくはありませんが、戦争のタネにすらなりうる宗教でも、
「笑顔が出て皆が幸せでいられる(そのカタチは様々であるにせよ)」というのはゴールのひとつでしょう?
しかし、たくさんの人々がいて、それぞれが幸せを描いちゃうので摩擦が生じてくる。
そして、争いが起こる。
だったら「なんにもない状況」というゴールを設定した
(=というのも既に矛盾したハナシですが)
お釈迦様はえらいな、と単純に思っちゃいます。
そのゴールを目指すのにいろんな宗派が様々にアプローチすればいいし、
ときには乗り換えながら、はたまた協力しあってでもいいじゃん、とコドモチックに考えてしまうんですね。
ボクは腹式呼吸で声を出すことが好きです。
んで、ひょんなことから実家の宗旨と違うお寺の 面白いお坊さんのとこで月に一度、
1時間だけ御堂を貸し切ってお経を読ませていただいてもう12年。
「ボクのお葬式って当然ながら実家の宗旨でやるんだろうけど、
毎月、カラお経BOXみたいに楽しませてもらってるこっちの宗旨のお経の方でもやってもらいたいなぁ」
なんて件のお坊さんに言いますと、
「あ~、いいよ、オレなら。
どこの宗旨の仏壇でもそれなりのステップを外さないようにちゃんとお経をあげてやるから。
実際、そんなリクエストを何度もこなしてきたしね。
ま、アンタのお経をオレが上げる確率は限りなく低いだろうけど、
こればっかりゃわからんしねぇ…グアッハァハハハァア!カンラカラカラ!!」
…診療もそうだ!とつくづく膝をポン!と打っちゃいました。
東洋医学って最近の医学部ではちょこっとでも取り上げられるようになったからいいんだけど、
ボクらの年代-10年くらいまでのお医者さんって漢方を医学部で学ぶことはなかったのでは?
データが揃ってないいい加減な医学、なんていうお医者様も存在しておりますし。
とはいえ、かくいうボクも、実家が漢方をちょっとやってた、というバックグラウンドで、
独学+研修会で学んできただけ。
でも、これだけは言えるんです。
診察のしかた、処方の組み立てなどは全部、
患者さんから学ばせていただいた。
医学書は予習・復習するのに大切だと思うけど、
肝要な部分は患者さんが全部教えてくれた。
根っから怠け者で
筋道だった思考過程が苦手なボクに、
ほんっとに手取り足取り教えてくださった。
ちょっとカッコつけてるかもしれないけど、
毎日、そう思いながら診察を「楽しん」でいます。
そんな中で思うのは、
日頃に遭遇しやすい病気について、
ルーツをたどってみれば、
大腸に行き着くし、大腸そのものがトラブっている場合も多い。
毎日、食べて、ウンチして、「ウォーキングうんち製造器」になりきってるボクは、
クルマだってエグゾーストが悪ければ全部ダメになるんだから
人間だって同じさ!なんてトンチンカンな発想もしてしまうのです。
そんな楽しい診察も、今はお盆なので一時休業。
サプリトラストも18日までお盆休みをいただきます。
皆さんも、暑さに負けず健やかに、この夏をお過ごしください。